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作家・平野啓一郎が見通す「新型コロナの2020年代」――「自分さえよければ」という生き方では社会が壊れる –

Riku Nakamura

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休業中の百貨店(撮影:中野敬久)

――給付金の支給や全世帯への布マスク配布など、政策に対する疑問や批判、要望も多々上がっています。

政府に対して、感情的に怒ることも必要だと思います。「生きるか死ぬか」という窮状が政府に伝わらないときは、強い言葉で訴えるしかない。当然でしょう。権力者に対して「批判をするな」というのは、民主主義国家として間違っていると思います。おかしな政策を批判するのも国民の当然の権利です。代案も必要です。自分たちの国なんですから。政府を批判する人を無責任と言う人もいるけれど、ただ見ていることのどこが責任ある態度なんですか。

――自分の訴えを言葉で強く伝えるためには、どうすればよいのでしょうか?

短い言葉よりも、ある程度まとまった長さの文章で訴えるほうが効果的だと思います。Twitterの140文字で伝えられる思いは限られるし、その中で強い気持ちを表そうとすると、どうしても「バカ」とか「ふざけるな」といった短い常套句になりがちです。それも数が集まれば力になるのかもしれませんが、本当に人の心を動かすのは、十分に検討された、まとまった長さの文章だと思います。

政治家への直接的な訴えもあるでしょうし、マスメディアへの寄稿があり、SNSやブログがある。2016年の「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログのように、シェアされていくなかで有意義な影響力を持つケースもあります。

来訪者の減った夜の街(撮影:中野敬久)

コロナが収束したら終わりじゃない

――コロナ後の社会をどう生きればいいのでしょうか?

かなり長期にわたってトラウマを引きずるはずです。傷を癒やすためには、2020年代が丸々費やされるかもしれない。今後そうしたテーマの文学や芸術もさらに増えるでしょう。「生活が変わる」という事実を受け入れて、いかに生きていくか。そのための具体的な解決策のヒントを手に入れるためにも、本や芸術、文化は必要不可欠です。

――新潮社によると、1947年にフランスの作家アルベール・カミュが発表した小説「ペスト」の文庫版は2月以降に15万4000部増刷され、累計発行部数が100万部を超えました(2020年4月現在)。

最近あらためて読んだのは鴨長明の『方丈記』です。火事・竜巻・飢饉・地震という不幸のオンパレードで人が死に続け、結局は「社会の安定を目指さない」という、近年提唱されてきた「持続可能な社会」とは正反対の認識に達している。その結論に全て同意というわけではなく、隠遁でよいのか、ということも含めて、災害が頻発する時代の日本で生きることを考えるうえで、興味深い一冊だと思います。

(撮影:中野敬久)

――私たちが過去の経験から学べることとは?

1990年代以降、世界は10年ぐらいの単位で激変を迎えてきた。まず80年代末から90年代初頭にかけては東西冷戦の終結と、日本でもバブル景気の崩壊があった。ゼロ年代は9・11とともに始まって、インターネットが広く浸透していった。2008年のリーマン・ショック後、10年代は3・11が起こって、その後遺症がやっぱり10年近く続いた。いま、ここで地震とか、何かもう一つ来られると本当に困るけれど、この先の10年間は、もう「新型コロナの時代」なんだと腹をくくるしかない。

国連の安全保障理事会では世界の紛争の停戦も議論されています。第1次世界大戦の終結もスペイン風邪の影響が大きかった。人間同士が戦争や紛争で殺し合う余裕さえなくなってきたし、「自分さえよければ」という生き方では、最終的には社会が壊れてしまう。もう格差社会や自己責任論ではいよいよ立ち行かないと思う。世界がいい方向に進むようなビジョンを一人ひとりが持つべきです。ディストピアが来るか、「悲惨だったけど少しはよくなったこともある」となるか、いまはその瀬戸際ではないでしょうか。

(撮影:中野敬久)

――いまを生き抜くために、どんな心構えを持つべきでしょうか?

これはコロナが収束したら終わりという話じゃない。地球温暖化の問題もあるし、日本だって夏は猛暑で秋は大きな台風も来る。もしかすると今後の「日常」とは、非常事態と非常事態の間で、ちょっと息継ぎするぐらいの時間となるのかもしれません。非常時には非常時なりの生活が持続できるよう準備しておかないと、ウイルスのたびにこんな大打撃を受けていたら、ちょっと持たない。

かつて戦争を体験した世代のかたは「生きていくために必死で何でもやった」と話されていましたが、ここから1、2年は本当に腹をくくって、焼け野原に立つような気持ちで「生き残ってやる」という意志を強く持つことも大事だと思います。やらない理由、できない理由を山ほど持ち出して、意欲的な取り組みを潰すのは、もう止めるべきです。

あくまで政府には補償を求めますが、その前提で、例えば自分の能力を何でも収入源にするような“才能のメルカリ化”だとか、VR(仮想現実)のようなテクノロジーやクリエイティブなアイデアを駆使する試みを決して馬鹿にせず、少しでも楽しみながら取り組むべきだと思います。いつか、「もう、コロナのときは何でもやってどうにか食いつないだね」と語り合うためにも。

内田正樹(うちだ・まさき)
1971年生まれ。東京都出身。編集者、ライター。雑誌『SWITCH』編集長を経て、2011年からフリーランス。国内外のアーティストへのインタビューや、ファッションページのディレクション、コラム執筆などに携わる。

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1万5000人が死亡した大阪空襲 語られてこなかった朝鮮人の被害体験 –

Riku Nakamura

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梅田方面からも大勢の人が逃げてきた。時刻は午前10時ごろ。爆撃で空は真っ赤になったという。

「梅田の方向、空が真っ赤ですわ。夕焼けみたいでしたよ。(それを見ながら)みな、『うちの家はもうないわ』って言い、空襲警報が解除されて三々五々、帰ったんです。別の日には、道で下向いて倒れている老人を見ました。その方、焼かれて真っ赤になってる。少しだけ残った服は黒焦げ。焼夷弾でしょう」

「大阪大空襲の体験を語る会」が収集した大阪大空襲の体験画(提供:新聞うずみ火)

大阪大空襲後の心斎橋・島之内付近。三津国民学校の屋上から難波方面をみる。中央遠方は難波高島屋。1945年3月14日ごろの撮影と思われる(提供:公益財団法人・大阪国際平和センター、前田日登美氏撮影)

空襲体験 苦難の「ワン・オブ・ゼム」

大阪大空襲で犠牲になった朝鮮人は、当時の人口統計などから2000人弱といわれる。しかし、朝鮮人の空襲体験は証言集にもほとんどない。「大阪空襲被災者運動資料研究会」の横山篤夫さん(79)はこう説明する。

「朝鮮人には、日本本土に渡ってくる時に故郷を捨てなければいけないとか、日本に着いてからの差別とか、生きていく上で大きな葛藤や苦労があった。そして、何とか生活できるようになったところに空襲です。過酷な経験でした。ようやく太平洋戦争が終わって故郷に帰ろうとしたら、(1950年に)朝鮮戦争が始まって、帰れなくなったわけです」

横山さんによると、大阪空襲を体験した人たちでつくる市民団体「大阪大空襲の体験を語る会」は450編もの証言を記録している。それなのに、証言は全員日本人で朝鮮人は1人もいない。

横山篤夫さん(左)。金さんから詳しく空襲体験を聞く

朝鮮戦争が終わると、日本に住む朝鮮人たちも「朝鮮半島の北側の出身か、南側か」「韓国と北朝鮮、どっちを支持するか」で対立するようになった。対立が抗争に転じ、死者が出たこともある。

「そういう経験をいくつもしているから、朝鮮人の空襲体験は、大変な出来事のワン・オブ・ゼムになるわけです。日本人も厳しい生活を送っていたけれど、空襲が一番大変な出来事だった。でも、朝鮮人にとって、空襲は数ある大変な出来事の一つにすぎない。だから、(各地にあった)証言の収集活動に朝鮮人は参加しなかったんじゃないか。そう感じています」

朝鮮人が1939年から「創氏改名」を強いられ、日本風の名前だったことも影響している。「語る会」が集めた450編の体験に朝鮮人はいないが、各地の体験集の中には「日本人」の話として埋もれている可能性がある。

大阪空襲をめぐっては、被災者や犠牲者の遺族らが補償を求めて国相手の訴訟を起こし、耳目を集めたことがある。提訴は2008年。原告に朝鮮人はいなかったが、「軍人・軍属と遺族らには恩給や遺族年金などがあるのに、民間の犠牲者にないのはおかしい」「国に戦争の後始末をさせたい」などと訴えた。訴訟は2014年に最高裁で原告敗訴が確定した。

判決から今年で6年、多くの空襲体験者が亡くなり、体験者から直接証言を聞くことはいよいよ難しくなってきた。

「大阪空襲75年朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員会」の資料集。朝鮮人の体験収集を進めている

闇市を頼りに生き延びた

金さんの話に戻ろう。

敗戦の直前、金さんは母と妹の3人で富山県に疎開した。日本が降伏し、数カ月後に戻ると、東西南北、見渡す限りの焼け野原。大阪駅周辺は8階建ての阪急百貨店と4階建ての曽根崎警察署しか残っていない。大半のビルや家屋は壊滅し、駅と駅の間を見通せた。大阪駅周辺には闇市が広がっていた。ラジオやオンボロの自転車のほか、「闇米」などの食料品も売られており、朝鮮人や台湾人もたくさんいたという。

金さんの父も闇市でモヤシやボロなどを売り、生活費に充てた。

「家では豚も飼ってました。5、6匹です。大きく育てて売るんです。さらに母は西明石まで行って闇米を仕入れ、私が大阪で自転車に積み替えて、沖縄の人がやっている店に持っていく。18リットルの一斗缶を10個とか。毎日です」

大阪駅前の闇市(1946年7月、写真:毎日新聞社/アフロ)

母は何度も闇米販売で検挙された。5歳年上の兄は、朝鮮戦争が終わった後、結核で他界。その直前には叔父や叔母も結核で亡くなっていた。金さん自身も高校生の頃は物売りの手伝いなどをしていたが、やがて一家は生活保護を支えに生きることになる。最下層の生活。そこには大勢の朝鮮人がいたという。同級生に「朝鮮」と言われ、殴ったこともある。

「お金があればね……。貧しいから場末のボロ病院しか行けず、兄さんらは死んだんです」

時代は1950年代の後半。日本経済は朝鮮戦争による「特需」で復興を遂げ、56年の経済白書は「もはや戦後ではない」とうたっていた。

「私は小学校から高校までは通名(日本名)で通しました。帰国? 考えませんでしたな。とにかく、その日その日の生活で精いっぱい。弁護士になりたかったけど、法学部に行けず、大阪外国語大学でモンゴル語をやりましてな。もっとも(当時は)日本国籍を取らないと、弁護士になれないことも知らんかったですが」

資料を広げ、体験を語る金さん

「日本人に負けたらあかん」

80歳の呉時宗(オ・シジョン)さんは大阪で生まれ、西成で育った。大阪大空襲を経験したのは4歳の時。語ってくれた内容から、1945年3月の第1次大空襲だったと思われる。無差別空爆は深夜0時前から始まった。

「母と妹と、商店街を走って逃げましてな。父は警防団員で火を消していたので現場に残ってたと思います。空がとにかく昼間のように真っ赤だった。昔、大阪の夕焼けはきれいやったけど、その夕焼けよりもまだ赤い。母には以前から『万が一迷子になったら、みんなが走ってる方に一緒に逃げるように』と言われていた。あの晩は迷子にならず、幸いにも家は焼けなかったんです」

その頃、夜中に何度も空襲警報のサイレンが鳴った。うなるような、低いサイレン音。幼い子どもに怖くないはずがない。

呉時宗さん

「寝る時間の空襲? 何べんもです。空襲警報が鳴って、防空壕に入って今晩も壕に泊まらなあかんな、いうて。(ある時)防空壕にバーンと穴が開いて、そこから親戚の叔父さんが顔を出して外を見てね。父が『逃げー』って。穴が真っ赤になって、火が落ちてくる。ほんで、みんな飛び出して、走って逃げてね。よう覚えてる」

ただし、呉さんにとっても、空襲体験はワン・オブ・ゼムでしかない。

第1次大空襲の後、呉さんは母・妹とともに、琵琶湖に面した町に疎開したが、おかずもみそ汁もない。イナゴを捕って焼いて食べたり、イモのつるを食べたり。疎開先から帰る時は、母が駅でスリに遭い、大事なお金を失った。

戦後すぐ、父は石鹸工場を起こし、次に釘工場を経営し、やがてアメ製造を手掛けたという。しかし、アメ工場も失敗し、差し押さえに遭遇。結局、戦前と同様、父は靴職人になったが、1953年に38歳で病没した。残された32歳の母は、困窮者の多い西成や釜ケ崎エリアで手間仕事を続けながら、子ども5人を育てた。

戦災孤児の写真に見入る人たち。孤児は養父母を求めていた。このような掲示板は全国各地に立ち並んだ(1950年5月、写真:毎日新聞社/アフロ)

呉さん自身は、戦後に「朝鮮人」を意識するようになる。在日本朝鮮人連盟(1945〜49年、朝連)の支部があちこちにできたことも、民族意識を高揚させた。

「戦前は朝鮮人と日本人、一緒に仲良く遊んでおったけど、戦後しばらくして『朝鮮、朝鮮』って言われるようになった。そんな奴とは、よくけんかしたね。『日本人に負けたらあかん』と、朝鮮の青年たちはボクシングジムをつくってたわ。僕もジムへ連れていかれ、大きなグローブをはめて練習しました」

当時の傷が眼の付近などに残っている。「しょっちゅう血を流してた。けんかばっかり」と呉さん。なぜ、日本人に対する対抗心が、そんなにも強まったのだろうか。

「朝連ができて、『自分は朝鮮人だ』という意識が出て。気づいたら、朝鮮人への悪口とか、いっぱいある。ニンニク臭いとか。大人やったら差別や人権問題として考えるけど、子どもはそんなこと考えへん。『朝鮮』って言われただけで腹が立つ。若いから。上級生に誰かがやられたら、呼びつけてコテンパンにして。大人になってからは、商売でとにかく金儲けしようと必死でした。負けたらあかんと」

けんかに明け暮れながらも、呉さんの高校の成績はトップクラスだった。しかし、毎回のように学費滞納者として名前が張り出される。それが嫌だったのと、家族の命は自分が守るしかないと思い、高校を中退した。以後は職を転々としながら、「とにかく金儲けだ」と戦後を疾走。商売の道を走っていく。

大阪大空襲で焼け野原になった難波地区。中央は難波高島屋。戦後、街は大発展し、空襲の面影はどこにもない

大阪空襲という幼少期の記憶から始まった人生。それを振り返り、呉さんはこう言った。

「僕らは戦後しばらく、国籍がなかったんです。1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効と同時に、僕らの(日本)国籍は剥奪されてしまった。(1965年の日韓国交回復で韓国籍を認められるまで)僕らには国籍も何もあらへんかった。大阪空襲の時も含めて、それまでは『日本人』やったのに……。今、(韓国籍を得ていない)在日にとっては、住民基本台帳に記された『朝鮮』は国籍ではなく、ただの記号です」

祖父を本名で記録してほしい

最後にもう1人、朝鮮人の男性に触れておこう。金偵文さん、81歳。1938年に大阪で生まれた。大阪空襲が激しくなる前に宮崎県へ疎開し、自身は空襲の被災者ではない。しかし、45年6月7日の第3次大空襲で祖父を亡くした。

戦時中、金さんは「金谷」と名乗っていた。自宅に近い「崇禅寺」の過去帳には、祖父について次のように記されている。

「金谷富彦 51歳 男 (身元確認者)長男・孝司 (住所)山口町89 (死因)爆死」

公益財団法人・大阪国際平和センター(ピースおおさか)が施設内に設けた「刻の庭」の銘板にも、金さんの祖父が「金谷富彦」として刻まれている。大阪で戦争の犠牲になった人々の一人として。これらについて金さんは納得しておらず、祖父の日本名を本名の「金麗禎(キム・ヨジュン)」に改めるよう要望している。

ピースおおさか「刻の庭」の銘板。中央に「金谷富彦」の名前(撮影:文箭祥人)

「人間は、本名をかき消されたらその存在がないんです。名前を元に戻さないといけない。歴史の中でいろいろなことがあったけど、それを正しく元に戻さないといけない。人間の尊厳に関する根本的な問題だと思うんです。私の祖父一人だけじゃなく、それ以外の人も、生まれた時に親からもらった本名で記録してもらいたいと考えているんです」

ピースおおさかの「刻の庭」

鈴木祐太(すずき・ゆうた)
1981年生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス(Frontline Press)所属。

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【ブリヂストン】「ブリヂストンさん、36年間ありがとうございました。」 – テニス365 | tennis365.net

Riku Nakamura

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■テニスGEEK通信(TENNIS GEEK NEWS)とは
テニスギアの「モノ」や「コト」を、深堀し、マニアックに、そしてGEEK(ヲタク)にお届けするコラムです。

ウインザーラケットショップ池袋店スタッフの中居が独自の目線で話題の商品を紹介します。

テニスに関する仕事をして30数年になる大ベテランですが、まだまだヤル気満々でテニスコートに立っているシニアプレーヤーです。
———————–
「ブリヂストンさん、36年間ありがとうございました。」

ブリヂストンが年内(2020年)をもってテニス事業から撤退することを発表しましたが、私がテニス関係の仕事についたのが1983年でブリヂストンがテニス事業をスタートさせたのが1984年でほぼほぼ同じ時間を共有してきたのと、個人的にもブリヂストンのIさんとダブルスのペアを組んでいたことがあったりと、ラケット、シューズ、ボールをヘビーに使わせていただいたので、思い出を振り返ってみようと思います。

ブリヂストンは創業者の石橋さんの名前を逆さまに英語にしたのは、知っている方も多いと思いますが、創業時は「ブリッヂストンタイヤ」という名称でした。

文字変換の間違いで「ブリジストン」となっていることがありますが、キーボード上では「J I」ではなく「D I」と打ち込んでください。

1984年にテニス事業に参入し、テニスラケットのB9とテニスボールのXT-8が発売されました。翌年に発売したB10/01は福井烈さんが使用し、大ヒットしグッドデザイン賞も受賞しました。

B10/01、B10/02、B10/03、B10MID、B10RなどB10シリーズでブリヂストンのテニスラケットはどんどん市場を広げて行き、硬派なテニスプレーヤーから支持される様になっていきました。

厚ラケ全盛の中発売したフラットフレーム設計のRV-1は、薄いフレームでも厚ラケに負けないパワーが出る画期的なラケットでした。

フラットフレームとは、普通のラケットにあるグロメットがはまる凹型の溝がなく、フラットな状態のフレームに全周繋がったバンパーグロメットを装着するもので、溝がないために内側に撓む動きが大きくなり、包み込んでから弾き出す画期的な構造でした。

新しいブランドながら、安易に厚ラケをコピーするのではなく、独創的な発想で勝負できるラケットメーカーになったのです。

アンチ厚ラケの方も多く、ブリヂストンの知名度は上がっていきました。

現役時代の福井さんは、日本ランキング1位を9年間続けた無敵の選手で、引退した後にユーザーイベントなどで大変お世話になりました。

引退して10年くらい経った時に、あまりにも動きが良いので、聞いたことがあります。

中居「今でも現役に復帰したら、日本のトップを取れるんじゃないですか」
福井さん「誰も見たいと思わないでしょう」

きっと自信はあったと思います。

ブリヂストンラケットを使用する選手も増えてきて、橘清孝プロ、小泉幸枝プロ、神尾米プロなどを輩出しました。

橘プロは1987年にデビスカップ代表になっており、長きに渡って活躍される選手でした。

小泉プロは、元日本ランキング4位で、全日本ベテランの40歳以上5連覇、45歳以上5連覇、50歳以上5連覇、55歳以上5連覇、60歳以上2連覇と22連覇を継続中で、それだけでも大変な記録なのですが、22年間、1セットも落としてないのが凄いことです。

もはや、同年代のライバルはナブラチロワぐらいではないでしょうか。

神尾プロは、世界ランキング24位と輝かしい成績を残した選手ですが、同時期に伊達公子さん、沢松奈生子さんが活躍していたので3番手の選手となっていました。怪我などもあり25歳の若さで引退しました。

引退後もブリヂストンと関わりを持ち、メディアの仕事や後進の育成に努めています。

大御所の田村伸也さんにも大変お世話になりました。

教え魔と言う言葉がよく似合う方で、いつもいつも熱いレッスンをしてくださいまして、終了時間が過ぎても話が終わらないのは日常茶飯事でした。

こんな逸話があります、レッスン終了後に飛行機で移動しないといけなかったのですが、その日はいつも以上に熱くなってしまい、結局、飛行機に間に合わなくなってしまったというのです。

それくらい熱いレッスンをされていたということです。
フラットフレーム設定の続編として、RZプロ、RZ、ZD-V、ZD-R、RV110R、RV100Tなどが発売され、自分も大好きだったBX、BXプロと続き、1994年に発売したプロビームはブリヂストン史上一番記憶に残るラケットとして今でも語り継がれています。

スロートに1本横バーを入れ、I型断面構造を採用し、電車の線路の様なH型にする事で、ねじれに対して非常に強い構造になり、ボールヒット時のブレを極限まで抑えることに成功しました。

伝説となったプロビームの魂を受け継いで2005年に発売されたXブレードは2020年まで続き、XブレードBX、XブレードRZで終焉を迎えます。

2012年に発売された4代目Xブレードに採用されたセプトングリップは画期的なアイデアでした。

通常のラケットのグリップは、、ラケット本体のカーボンの上にウレタンを八角形に成型しエンドキャップで蓋をする様に被せるのですが、セプトングリップは、特殊なゴムとプラスチックでエンドキャップを一体成型し、カーボンの上から差し込みます。

エンドキャップのぐらつきは一切ありません。

「BX」「RZ」と過去にヒットしたラケットのネーミングを持ってきたのはブリヂストンファンへのオマージュだったのかもしれませんね。

36年間、ラケット造りに一貫していたことは、ブームに左右されずに、ユーザー目線の打ちやすいラケットを妥協せずに造っていたことです。
ミーハーなラケットは造らず、硬派な印象があります。

ボールに関しても「XT-8」「ツアープロ」「NX1」はファンが多く、これじゃないと困ると思っている方も多いと思います。

XT-8の思い出は、やはり「毎トー」です。学生の頃からから、夏の大会と言えば毎トーで、毎トーと言えばXT-8でした。

大変レベルが高く、早稲田の学生に当たったり、その後にプロになるジュニアに当たったり、ベテランになって出た大会では1回戦でシード選手に当たったり、負けてる記憶しかありませんが、良い思い出です。

真夏の大会で3セットマッチなので、ファイナルセットで記憶がなくなることもありました。
また、大会使用球のXT-8を持参する草トーがあったりして、テニスバッグに必ず1缶入れていたのが「XT-8」でした。

最後に、記念モデルラケットとして、形状はプロビーム、中身はXブレードBX、デザインは30周年記念で発売したBLACK×GOLDのXブレード310リミテッドで是非発売してください。

絶対買います。

36年間ありがとうございました。

>>その他GEEK通信の記事はこちら<<


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ビジネス特集 飛ぶように売れる豪華クルーザー ~コロナが映し出す格差 | 新型コロナ 経済影響

Riku Nakamura

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飛ぶように売れる豪華クルーザー ~コロナが映し出す格差
今、何十億円もするクルーザーが売れているという。新型コロナウイルスの感染拡大によって過去最悪の景気悪化に苦しむアメリカの話しだ。

「新型コロナはすべての人に等しく降りかかっているわけではない。所得の低いサービス業で働く人たちにより重くのしかかっている」
FRB=連邦準備制度理事会のパウエル議長は、コロナ禍をきっかけにした経済格差の拡大に強い警鐘を鳴らす。感染者が世界で最も多い500万人に上るアメリカで、いま何が起きているのか、取材した。(ワシントン支局記者 吉武洋輔)

売れ筋は60億円

夏の旅行シーズンを迎えるアメリカ。東部のロードアイランド州に、海に囲まれたニューポートという高級リゾート地がある。黒船で日本に来航したペリーの出身地としても知られる。

取材に訪れて真っ先に目に飛び込んできたのが、停泊中の100隻を超えるクルーザー。この地でクルーザーのディーラーをしているマーク・エリオットさんは上機嫌だ。

マーク・エリオットさん
「飛ぶように売れていますよ」

新型コロナウイルスの影響で3月は売り上げが減少したが、6月の売り上げはそこから20%上昇したという。

売れ筋の価格帯は実に10億円から60億円。驚くばかりだが、顧客はヘッジファンドや不動産会社のオーナー、大企業の経営者など。売れている理由は「安全な場所だから」とのことだ。

旅客機や大型船と違って、家族など少ないグループで利用できる利点がある。

最近売れたというクルーザーを見せてもらった。6室のベットルーム付きで75億円。高性能の空気清浄機も複数完備されているという。中を見たいと頼んだが、清潔さを保つため他人を入れるのは無理だと断られた。

アメリカでは、コロナをきっかけにプライベートジェットのリースや販売も好調だという話も聞いた。そこには確実に“別世界”が存在した。

金持ちは、より金持ちに

エリオットさん
「私のビジネスは株式市場に直結している」

超高額品が売れる背景にあるのは、株高だ。3月に1万8000ドル台まで暴落したダウ平均株価は、4月からみるみる上昇。過去最悪の経済打撃(4~6月GDP ー32%)や感染の再拡大に苦しむ実体経済をよそに、コロナ前の9割の水準となる2万7000ドル台まで値を戻している(8月11日の終値)。

300兆円にのぼる緊急の経済対策とFRBの大規模な金融緩和策が要因だ。異例の政策は失業者や中小企業を支えた。ただそれ以上に、より多くの株や信用力を持つ者が得をする。そんな世界をつくったのかもしれない。

パウエル議長が警鐘を鳴らす理由も、そこにあるだろう。

ブルームバーグ通信が発表するビリオネア指数という指標では、世界の総資産の上位10人中、8人がアメリカ人だ。アマゾンのベゾスCEOやフェイスブックのザッカーバーグCEOらが名を連ねる。

このうち7人の8月時点の総資産はことし初めよりも増加している。増加額は合わせて18兆円。金持ちは、より金持ちになっている。

失業が格差を助長する

コウリープリンスさん
「突然、メールで解雇を通知されました」

東部メリーランド州のボルティモアに暮らすモーガン・コウリープリンスさん(26)は、3月中旬、勤め先のレストランから解雇を言い渡された。

大学卒業から3年半。現場マネージャーも任され、愛着のある職場だった。その後、店は持ち帰りのみで営業を再開したが、職場復帰の声はかかっていない。

アメリカでは、感染拡大の直後、年収4万ドル(420万円)を下回る人の39%が仕事を失った(FRB調査)。全体の失業率は10%台なので、所得の低い人ほど職を失っていることがわかる。

とりわけ懸念されているのが、こうした人たちの雇用の受け皿となってきたレストラン、ホテル、映画館などの接客サービスだ。ニューヨークでは、非常事態宣言が出てから5か月がたった今も店内飲食が禁止され、従業員を雇う動きは鈍い。

コウリープリンスさんは失業保険で生活費や家賃をまかなっているが、学生ローンの返済も残る。驚くのはその額が1100万円にものぼることだ。私立大学で心理学を専攻していた。

コウリープリンスさん
「失業保険がなくなったあとが不安です。今後数年のうちに、正常な生活に戻るとも思えません」

出来ないリモートワーク

“コロナと格差”をめぐっては、もう1つ気になるデータがある。シンクタンクのピューリサーチセンターの調査で、テレワークで仕事を続けることができた人は大学卒業以上で全体の62%だった一方、高卒では22%にとどまった。

これは、感染を避けて仕事を続けられるのは学歴が高い一部の人たちで、工場や小売店など不特定多数の人が集まる場所で働かなければいけない労働者が多くいることを示している。

ワシントンで出会ったライドシェアの運転手、デビッド・ハーブさんは、ほぼ毎日、早朝までの10時間、車を走らせる。65歳で高血圧の兆候もあると言う。

1回の勤務で20組ほどの客を乗せるため、感染のリスクが伴うが、高卒のハーブさんはこう話す。

ハーブさん
「私にはアパートの中でコンピューターを操作するような仕事の選択肢はない。貯金もなく投資もしていないので、お金が必要なんだよ」

本人は仕事に誇りを持っていたが、豪華クルーザーで三密を避ける富裕層がいる一方で、厳しい環境で働き続けている人がいることを痛感した。

アメリカはどこに向かうのか

アメリカの経済格差は長年の課題であり、4年前の大統領選挙でも争点となった。中間層からの脱落を恐れた白人労働者がトランプ大統領の当選を後押しした。

ことしの大統領選挙に関連した取材では、中西部のある大学で民主党左派のサンダース氏の演説を聞いた際、学生ローンの免除や国民皆保険といった格差是正に同調していた大勢の学生たちがいたことが印象に残る。

今回、取材した失業者のコウリープリンスさんに11月の選挙でどちらの候補者に投票するかを尋ねたところ、「今の政権に不満がある」と話し始めたが「どちらの候補者も好きになれない」という結論だった。

経済格差はコロナを機にさらに拡大を続けるのか。それとも是正のきっかけにできるのか。大統領選挙を控えるアメリカに、大きな課題が突きつけられている。

ワシントン支局記者
吉武 洋輔
2004年入局
名古屋局・経済部を経て現所属

著者: ” — www3.nhk.or.jp

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トラブルの総合百貨店で学んだ「2つのテクニック」 | その仕事、全部やめてみよう | ダイヤモンド・オンライン

Riku Nakamura

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小野和俊

おの・かずとし

[クレディセゾン 常務執行役員CTO]

1976年生まれ。小学4年生からプログラミングを開始。1999年、大学卒業後、サン・マイクロシステムズ株式会社に入社。研修後、米国本社にてJavaやXMLでの開発を経験する。2000年にベンチャー企業である株式会社アプレッソの代表取締役に就任。エンジェル投資家から7億円の出資を得て、データ連携ソフト「DataSpider」を開発し、SOFTICより年間最優秀ソフトウェア賞を受賞する。


2004年、ITを駆使した独創的なアイデア・技術の育成を目的とした経済産業省のとり組み、「未踏ソフトウェア創造事業」にて「Galapagos」の共同開発者となる。2008年より3年間、九州大学大学院「高度ICTリーダーシップ特論」の非常勤講師を務める。


2013年、「DataSpider」の代理店であり、データ連携ソフトを自社に持ちたいと考えていたセゾン情報システムズから資本業務提携の提案を受け、合意する。2015年にセゾン情報システムズの取締役 CTOに就任。当初はベンチャー企業と歴史ある日本企業の文化の違いに戸惑うも、両者のよさを共存させ、互いの長所がもう一方の欠点を補っていく「バイモーダル戦略」により企業改革を実現。2019年にクレディセゾンの取締役CTOとなり、2020年3月より現職。


「誰のための仕事かわからない、無駄な仕事」を「誰のどんな喜びに寄与するのかがわかる、意味のある仕事」に転換することをモットーにデジタル改革にとり組んでいる。

  • その仕事、全部やめてみよう

    プログラマー×起業家×CTOが語る「超」効率的な仕事の進め方・考え方


    著者は、ITベンチャーの代表を10年以上務め、現在は老舗金融企業のCTO。

    2つのキャリアを通して、それぞれがどんな特徴を持ち、そこで働く人がどんなことに悩み、

    どんな風に仕事をしているのかを見てきました。

    その中で、ベンチャーにも大企業にも共通する「仕事の無駄」を見出します。


    本連載は、具体的なエピソードを交えながら、仕事の無駄を排除し、

    生産性を高めるための「仕事の進め方・考え方」を解説するものです。

◆「すべて同意! ビジネス価値創出への『5つの心構え』をまとめた決定版だ」(入山章栄・早稲田大学ビジネススクール教授)

◆「これは仕事術ではない。ゲームのルールは変えられることを証明した珠玉の実践知だ」(鈴木健・スマートニュース創業者・CEO)

コロナ禍で社会構造やビジネスモデルが変化する今、「生産性」「効率」「成果」が見直されている。そんな中、各氏がこぞって大絶賛するのが『その仕事、全部やめてみよう』という書籍だ。

著者は、ITベンチャーの代表を10年以上務め、現在は老舗金融企業のCTOを務める小野和俊氏。2つのキャリアを通して、それぞれがどんな特徴を持ち、そこで働く人がどんなことに悩み、仕事をしているのかを見てきた。その中で、ベンチャーにも大企業にも共通する「仕事の無駄」を見出す。

本連載は、具体的なエピソードを交えながら、仕事の無駄を排除し、生産性を高めるための「仕事の進め方・考え方」を解説するものだ。

Photo: Adobe Stock

 トラブルにはさまざまな種類のものがある。人間関係のトラブル、プロジェクトのトラブル、システムのトラブル、会社存続に関わる資金繰りのトラブルなど、さまざまだ。

 設立当初のベンチャー企業は「トラブルの総合百貨店」だ。ベンチャー企業はあらゆる意味で身軽で、物事の進むスピードが速い。一方で、トラブルを防ぐための機能が備わっておらず、不安定だ。トラブルを切り抜けていく中で共通して言えることが2つある。

(1)心を落ち着かせる

「やらかしたかも」。仕事歴の長いプログラマーであれば、一度や二度は血の気が引くようなミスをしたこともあるだろう。私自身も、アプレッソ設立初期の頃にそんな経験をしたことがある。

 開発の仕事をしていたときのことだ。自分のパソコンのデータベースにつないでいるつもりが、うっかりチーム全体で使っているデータベースにつないでしまっていた。手元の環境をクリーンアップしようとして、チーム全体で使っているデータベースの内容を全削除してしまったのだ。

 チーム内で利用しているデータベースなので、お客さまに直接的な影響があるわけではない。とはいえ、これまで相当な時間と手間をかけて蓄積してきたデータの入ったデータベースである。

「あれ、データが消えてる……?」

 そんな声に「もしや」と思って設定を確認したときには、もう遅かった。こんなとき、焦る気持ちから「これどうするんですか!!」とドンッと机を叩いて立ち上がって大声を上げても緊張感を高めるだけだ。

 大切なのは、まず正確に問題を把握し、関係者と共有したうえで必要な対策を検討していくことだ。慌てたところで問題は解決しない。それにチームが慌てふためくと、今後自分の仕事が原因で何か問題が起きても、怖くて言い出せなくなってしまう危険性だってある。

 だからどんな深刻なトラブルが起きたときも、いや、深刻なトラブルが起きたときであればなおさら、まずは心を落ち着かせなければならない。最悪なのはパニックになって「君はいつかこういうミスをすると思っていたんだ」「そもそもお前は普段の態度が許せなかったんだ」などと、今回の事象と関係ないところにまで話を広げて仲間割れ大会を起こすことだ。

 だからトラブルが起きたときの第一声は必ず「まずは落ち着こう」だ。



著者: ” — diamond.jp

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仕事のニュース

【海外ドラマ用語辞典コラム:第8回】映画とドラマで立場が逆転?“ただの脚本家”ではないショーランナーの仕事 : 映画ニュース – 映画.com

Riku Nakamura

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日付:

投稿者:

2020年8月9日 12:00

「ウォーキング・デッド」シーズン9からショーランナーに就任したアンジェラ・カンは、新風を吹き込みキャストからも大人気
「ウォーキング・デッド」シーズン9からショーランナーに就任したアンジェラ・カンは、新風を吹き込みキャストからも大人気

[映画.com ニュース] ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会(HFPA)に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの業界用語を通じて、ドラマ制作の内部事情を明かします。

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映画とドラマは、尺や露出方法の違いはあれど、見世物(ショー)であることに違いはない。だが、ハリウッドにおいて物語を生み出す脚本家の立場は映画とドラマでまったく異なっている。

たとえば、あなたが書いた映画脚本をメジャースタジオが獲得したとする。でも、その脚本がそのままの形で映画化されることはほぼない。スタジオ側が人気俳優を引きつけるためにキャラクター設定を変更したり、人気のトレンドを盛り込むことなどを要求するからだ。修正作業は、最初の脚本を執筆した無名の脚本家ではなく、ベテラン脚本家に委託するのが通例だ。改稿を重ねていくうちに、監督が決定する。すると、監督の意向に沿ってまたリライトが行われる。そのうち主導的な役割を果たしていたスタジオの重役が異動となり、新重役のもとで最初からやり直しとなることも珍しくない。いつまで経っても制作のゴーサインが出ず、企画開発を延々と続けるこの期間は、Development Hell(開発地獄)と呼ばれたりする。

「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」の“開発地獄”は15年以上も続いた
「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」の“開発地獄”は15年以上も続いた

スタジオが映画製作へのゴーサインを出すことに消極的なのは、映画作りは何千万ドルも投入する大きなギャンブルだからだ。いったん製作をスタートしたら、後戻りできない。ならば、比較的少ない予算で可能な企画開発に時間を費やして、リスクの芽を摘んでおこうというわけだ。悲しいかな、ヒットを生み出すコツは誰も知らないので、堂々巡りしがちになる。

有名監督や人気俳優の参加が決まっていたり、原作モノの場合は、低リスクなのでゴーサインが下りやすい。それでも、たとえばジョージ・ルーカス制作、スティーブン・スピルバーグ監督、ハリソン・フォード主演というオールスターを揃えた「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」は、15年以上ものDevelopment Hellを過ごした。作品の方向について3人の意見が合わなかったためで、そのあいだにジェブ・スチュワート(「ダイ・ハード」)、ジェフリー・ボーム(「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」)、フランク・ダラボン(「ショーシャンクの空に」)、ジェフ・ネイサンソン(「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」)、デビッド・コープ(「パニック・ルーム」)といった有名脚本家たちが執筆に関わっている。完成作にクレジットされているのは、「ストーリー」としてジョージ・ルーカスとジェフ・ネイサンソン、「脚本」としてデビッド・コープのみ。このことからも、ハリウッド映画において脚本家は取り替えがきく便利屋のような存在であることがわかるだろう。

「ブレイキング・バッド」のショーランナーであるピーター・グールド&ビンス・ギリガンは「ベター・コール・ソウル」も手掛けた
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これがテレビドラマとなると脚本家の立場ががらりと変わる。ドラマ作りを統括する制作総指揮は、たいていの場合、脚本家が務めている。一方、各話の演出を手がける監督はひとつのドラマに複数人いて、彼らは制作総指揮の指示に従う。つまり、ドラマにおける監督と脚本家の関係は、映画と逆転しているのだ。

この違いは、ドラマの成りたちに起因している。テレビドラマの企画を立ち上げるのは、脚本家だ。自身が企画を生みだし、制作会社やネットワーク局にピッチを行う。うまくいけばパイロット版の脚本が発注されるので、ひとりで1話ぶんを書き上げることになる。そして、もしパイロット版の制作にゴーサインがおりたら、自分でキャストやスタッフを集める。つまり、企画を生みだした脚本家が、内容から人材に至るまですべてをコントロールできるのだ。そのドラマ制作を指揮する脚本家のことを、ショーランナーと呼ぶ。

「ゲーム・オブ・スローンズ」の脚本家チームを率いたデビッド・ベニオフ&D・B・ワイスは一躍トップクリエイターに
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ショーランナーの仕事は、ドラマがシリーズ化したときに本格化する。ネットワーク局のドラマは1シーズンあたり22話前後あるから、ひとりの脚本家が全話執筆するのは不可能だ。そこで、複数の脚本家を雇用し、「ライターズ・ルーム」を立ち上げる。ほかの脚本家たちとのディスカッションを通じて、全体のストーリーから各エピソードの展開を詰めていくのだ(ライターズ・ルームに関しては、次回詳しく説明します)。ショーランナーの担当は、ドラマの内容に留まらない。大量のエピソードを生産するためには、同時進行で進めていく必要があるため、異なる段階にある各話の制作状況を把握し、それぞれが抱えるトラブルに対応していく。つまり、クリエイティブとマネジメントの両方において責任を負うことになる。かなりの重責だが、ショーランナーがいるからこそ、数百人が関わるドラマ制作においても、統一感を維持できるのだ。

「glee グリー」「アメリカン・ホラー・ストーリー」などの企画・脚本を手掛けたヒットメーカー、ライアン・マーフィー
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ちなみに、ショーランナーは制作総指揮のひとりだが、製作総指揮にクレジットされている人すべてがショーランナーというわけではない。制作総指揮には制作会社の重役やドラマの実現に関与した有名監督などの名前も載っているためだ。例外もあるが、企画を兼ねている制作総指揮が、ショーランナーである場合が多いといえる。

【今回の業界用語】
ショーランナー(Showrunner):ドラマの制作総指揮のひとりで、ドラマ制作を統括する責任者。たいていは企画を立ち上げた脚本家が務める。

(映画.com速報)



著者: ” — eiga.com

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